善徳女王のピダムは実在した 毗曇の乱とは

善徳女王面白いわ~と見ていたら、21話の後半に初登場したピダム。

少年のような屈託のない笑顔と、人を斬って血しぶきかかった時の不敵な笑みが衝撃的で、ハートを鷲掴みされ、以後、ピダムから目が離せなくなりました…。

ピダム役のキム・ナムギル様最高ですね。

ところで、あんな役どころのピダムです。善徳女王は、朝鮮半島で初の女性統治者となった実在の人物ですが…

「でも、さすがにピダムは実在していないよね…」

と思ったら…ピダムって実在してるんですね。正直、びっくり(´⊙ω⊙`)

こうなると気になるのが、「ピダムってどこまで史実でどこまでフィクション?」

この記事では、実在したピダムの史実と、ドラマ善徳女王の設定との違いなどについてまとめてみました。

スポンサーリンク

ピダムは実在した真骨(シンゴル)

毗曇(ひどん、ピダム、? – 647年)は、新羅第27代善徳女王末期の真骨と推定される貴族。
新羅貴族の合議機関である和白会議を主導する上大等の地位にありながら反乱を起こした逆臣。『三国史記』善徳女王条、金庾信の列伝に登場する。
引用:毘曇-Wikipedia-

ピダム、いました。Wikipedia日本版や韓国版などの情報によると

  • 善徳女王同時期に存在した真骨(チンゴル)である
  • 誕生年や親、出生、業績などの記録がほとんどない
  • 三国史記善徳王朝、金庾信(キム・ユシン)列伝に登場する
  • 善徳女王自ら新羅の最高官職である上大等の地位に任命している
  • 647年に毗曇の乱を起こす

ドラマ「善徳女王」でのピダムはこんな設定

  • 美室(ミシル)と新羅25代王・真智(チンジ)王の息子
  • 本名:炯宗(ヒョンジョン)
  • 王妃になれなかったミシルに捨てられる
  • 国仙ムンノに育てられ、師匠弟子の関係に
  • ムンノの遺言通り花郎(ファラン)となる。【無名之徒(ムミョンジド)】
  • 自由奔放な性格と少年時代に盗賊一味を全員毒殺して笑っている冷酷な一面も持つ
  • トンマンに少年のように恋い焦がれ、独り占めしたい欲求に苛まれる

毗曇(ピダム)の乱の背景

善徳女王の11年(642年)8月、百済によって大耶城(慶尚南道陜川郡)が陥落させられた。大耶城奪回のため、対百済戦の救援軍を求めて王族の金春秋(後の武烈王)が高句麗に赴いたが、高句麗からの援軍は得られなかった。

百済により大耶城(てやじょう)が陥落します。

ドラマでは、百済の敵陣にキム・ユシンが捕まっている時に、名前に「黒」のつくスパイがいるはずと言って調べましたが、結局、そんな名前の者はいなく、黒偏のつく「黔日」と気づいた時にはすでに遅く…というくだりがありました。

黒のつく名前 内通者 黔日も実在してた

黔日(コムイルまたはコミル ?~660年)
新羅時代の反逆者。大耶城の城主品釈(プムソク)に妻を奪われ恨みを抱いていた黔日は、642年8月百済の将軍、允忠(ユンチュン)率いる百済軍攻撃の際に、蔵に火をつけて城内を混乱させ大耶城の陥落に貢献する。

なお、城主プムソクの妻はキム・チュンチュの娘、古陀炤(コタソ)でしたが、この時殺されてしまいます。これにキム・チュンチュは深い恨みを持ち、百済を滅ぼす事に執念を燃やしたとされています。

黔日は百済で過ごすが、660年百済滅亡後、武烈王(キム・チュンチュ)によって処刑される。

参考:Wikipedia韓国版 검일

廉宗(ヨムジョン)と共にピダム 反乱を起こす

ドラマでは、このままでは権力がなくなり粛清されてしまう…と、権力を握るため、ミシルの弟のミセン達や、ヨムジョンが唐の使節と結託し、善徳女王を廃しようと画策します。

史実では、ピダムの乱は、645年に上大等に任命された2年後の647年1月にクーデターを起こします。

643年9月には唐に使者を送って高句麗・百済(麗済同盟)を討つ救援軍を求めたが、唐からは援軍を派遣する条件として、女王を廃して唐の王室から新王を立てることを迫られた。唐の要求に対して新羅国内では親唐派と反唐派が対立した。毗曇は、女王自らが上大等に任命したにもかかわらず、親唐派の先頭に立った。善徳女王 16年の647年正月、毗曇は廉宗(ヨムジョン、真骨の貴族)などとともに「女主不能善理(女性君主は国を治めることができない)」と唱えて反乱を起こした。

唐からも要求があり、更に、女ではダメだと、「女主不能善理(女性君主は国を治めることができない)」と名分を掲げ、ピダムとヨムジョンが事を起こすんですね。

というか、ドラマでは怪しい商人だった、ヨムジョンも真骨だったんですね~

ヨムジョン演じた俳優オム・ヒョソプさん、やたら演技うまいですよね。

 

ピダムはなぜ善徳女王を裏切ったのでしょうね…?善徳女王自ら上大等に任命したということで、信頼もあったのではないかと思われますが。

金庾信に月城を先に掌握された毗曇は、明活山城に陣を張って対峙した。『三国史記』によれば、毗曇の反乱は十余日で鎭圧され、彼の九族は全て滅ぼされた。『三国史記』真徳王条によれば、この乱に連座して死亡した者は30人だった。

キム・ユシンによってピダムの乱は鎮圧され、ピダムの9族と30人は全て粛清されたとあります。

なおこの戦いの時にこんな逸話があります。ドラマでも、凧があがってましたよね。

ある夜、大きな星が月城に落ち、これを見てピダムが配下に「間違いなく女王が敗北する兆しだろう」と言って、これにより反乱軍の士気が高まった。これを受けて、キム・ユシンは火のついた凧を空に上げ、そして「昨夜落ちた星が再び上がった」という噂を広め、これにより政府軍は勢いを取り戻しキム・ユシンは反乱を討伐した。

ピダムの乱の途中に善徳女王は崩御し、真徳女王が第28代国王として擁立されます。

結局、女王を廃そうとする親唐派の内乱のあとは、また女王が誕生したんですね~。

ピダムが登場するドラマ

  • 2012年 大王の夢
  • 2009年 善徳女王
  • 2006年 淵蓋蘇文(ヨンゲムソン)
  • 1992年 三国記
タイトルとURLをコピーしました