赤い袖先 ホン・ドンノは実在する?その正体と最後とは

赤い袖先 ホン・ドンノは実在する?その正体と最後とは 韓国時代劇
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赤い袖先の主人公イ・サン(後の正祖)の隣にはいつも、ひときわ目を引く男性がいました。

冷静沈着で少し影のあるイケメン、カン・フン演じるホン・ドンノ。

美男子でクールなのに、どこか儚げで…そして時折見せる冷酷さが本当に印象的でした。でも、この人って実際にいた人なの?って気になった方も多いのでは?

今回は、そんなホン・ドンノの実在の人物と、ドラマとの違いについてまとめてみました。

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赤い袖先 ホン・ドンノのモデルは実在した!ドラマでの描かれ方

  • ホン・ドンノの正体はホン・グギョン(洪国栄)
  • ドラマ赤い袖先でのホン・ドンノをおさらい【ネタバレ注意】
  • ホン・ドンノ 相関図でのポジション
  • 赤い袖先 ホン・ドンノ最後はどうなった?

ホン・ドンノの正体はホン・グギョン(洪国栄)

ホン・ドンノの実在のモデルは、洪国栄(ホン・グギョン)
「洪国栄」が本名で、「洪徳老(ドクロ/ドンノまたはドンロ)」が字(あざな)で、『赤い袖先』ではこの“ドンノ”を役名として使っています。どちらも同一人物を指します。

史実の洪国栄(1748-1781)は、正祖(イ・サン)の側近として活躍した実力者でした。若い頃から頭脳明晰で知られていたそう。

正祖が世孫時代から彼を支え、王になってからも重要な政治的役割を果たしていました。ドラマでも描かれているように、本当に正祖の右腕と呼べる存在だったんですね。

ドラマ赤い袖先でのホン・ドンノをおさらい【ネタバレ注意】

以下にドラマ「赤い袖先」でのホン・ドンノの描かれ方をおさらいしていきます。ネタバレも含まれますのでご注意ください。

赤い袖先 ホン・ドンノの役割

『赤い袖先』のホン・ドンノは世孫サン(後の正祖)の幼なじみであり、誰よりも王に近い側近。劇中では「上奏はすべてドンノ経由で王に届く」と言われるほど政務を一手に握る姿が描かれます。モデルである洪国栄(ホン・グギョン)の“都承旨(トスンジ)=王の代弁者”という実像を踏まえた設定です。

前半はイケメンで頭脳明晰な理想の側近

ホン・ドンノは「都で一番の色男」とされ、女官たちの間で憧れの人気者として描かれています。

彼のルックスの良さは、ドラマの中でも強調されていました。宮女たちが恋愛小説を読む時、その主人公にホン・ドンノの顔を思い浮かべる…なんていう描写もありました。

ハンサムな顔と柔らかい微笑みで、数えきれないほどの宮女たちが彼に恋い焦がれ。

鬼のような世孫(サン)が現れると逃げるのに忙しい宮女たちが、ホン・ドンノが現れると、壁の後ろに集まって彼の姿を盗み見るのに忙しい…なんていう韓国公式の人物紹介もあり、その人気ぶりがうかがえます。

物腰が柔らかく、宮女たちにも優しい態度を見せるため、主人公ドギムの女官仲間のキム・ボギョンも夢中になります。

頭脳明晰でイ・サン(正祖)の信頼厚い側近として、政務を補佐する有能な官僚というポジションでした。

後半は権力に溺れ、野心を露わにする

物語が進むにつれ、ホン・ドンノは権力欲をあらわにし、イ・サンの信頼を逆手にとって権勢を拡大していきます。

公式の人物紹介でも、「人々、特に宮廷の女性たちに非常に多情多感な彼なので、春風が吹いたような外観の後に隠された、彼の冷たい内面を知っている人は多くない」と描かれています。

彼は人の善意や理由のない好意、優しさを信じず、すべてのことには代価を払わなければならないと考えている、という設定でした。宮女たちに親切なのも、いつかその対価を受け取るため…なんて、ゾッとするような一面も。

彼は名門の家柄でしたが、悲惨な幼少期を過ごしたという設定も。サンは彼を泥沼の中から救い出して輝く真珠にしてくれた「恩人」であり、だからこそ、サンを必ず王位に上げ、「一人之下万人之上(一人を越えて万人の上に立つ)」地位で自分も輝こうと誓っていました。いつか天下のすべてが自分の手の中にある日が来ると信じていた、という描写からも、彼の強い野心が伝わってきます。

ドラマでも描かれたように、ホン・ドンノは自身の妹ホン・ダンをイ・サンの側室「元嬪ホン氏」にします。これにより、彼は王室の外戚として、とてつもない権力を手に入れます。

しかし、妹の急死をきっかけに彼の人生は暗転。悲しみと復讐心から、さらに暴走し、宮女たちの失踪事件など、不正や陰謀に手を染めていきます。

妹ホン・ダンをイ・サンの側室(元嬪)に送り込み、外戚としてさらに権力を強めます。

妹の急死をきっかけに、王妃への疑惑を捏造し、証拠を仕組むなど、陰謀に手を染めていきます。

ホン・ドンノ 相関図でのポジション

  • 王(サン)との関係 – 無二の信頼を得る“右腕” 正祖即位から都承旨(トスンジ)へ
  • 妹ウォンビン – 王の側室となり外戚として権勢を強化
  • 宮女たち – “王宮随一の美男”として憧れの的
    この三本の糸を巧みに操ることで物語中で権力を牽引しました。

赤い袖先 ホン・ドンノ最後はどうなった?

権力の絶頂から転落へ

妹のホン・ダンがイ・サンの側室となり、元嬪となったことで、ホン・ドンノの権力はもう手がつけられないほどに。彼の許可なくしては、王様への上奏すらできないほどでした。

しかし、そんな絶頂期に、最愛の妹・元嬪が急死してしまいます。この悲劇が、ホン・ドンノの人生を大きく狂わせます。悲しみに打ちひしがれ、彼の性格は一変。以前の冷静さは影を潜め、感情的で暴走気味になっていくのです。

宮女失踪事件と、暴かれる罪

妹の死後、宮廷では宮女たちが次々と姿を消す不審な事件が起こります。その裏には、なんとホン・ドンノの影が…。

ホン・ドンノは妹・元嬪洪氏の死をきっかけに、王妃が関与していると疑いを強めます。

その疑惑を裏付けるため、王妃付きの宮女たちを連れ去り、証拠を捏造するために拘束・拷問する場面が描かれています。

これまで築き上げてきた彼の権力は、このスキャンダルによって音を立てて崩れていきました。結局、彼は王宮から追放されてしまうことになります。

そして訪れる最後

追放されたホン・ドンノは、最終的に自ら命を絶つ(自害する)という悲劇的な結末を迎えます。

彼の遺体とともに残されていた手紙には、幼いイ・サンを救ったのが実は見習い宮女だったことなど、これまで決して明かされることのなかった、彼の心の奥底にあった真実が記されていました。

この手紙は、冷酷に見えた彼の内に秘められた、人間的な苦悩や葛藤を垣間見せるものでした。

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赤い袖先のホン・ドンノのモデルは実在の洪国栄 史実では?

  • 史実の洪国栄(ホン・グギョン)プロフィール
  • 史実の洪国栄(ホン・グギョン)もイケメンだった!?
  • ホン・グギョンの権力拡大
  • 権力絶頂からのまさかの転落…その本当の理由は?

史実の洪国栄(ホン・グギョン)プロフィール

項目内容
名前洪国栄(ホン・グギョン/홍국영)
字(あざな)徳老(ドンノ/ドクロ)
生年1748年
没年1781年4月5日(享年34)
本貫豊山洪氏
家族父:洪楽春 母:牛峰李氏 妹:元嬪洪氏(正祖側室)
官職都承旨(トスンジ)、宿衛所長官、守禦使など
学歴・経歴1771年に科挙合格、世孫(後の正祖)付き官吏に
主な功績正祖の即位を支援し、王権強化に貢献。老論派の粛清を主導
権力の絶頂正祖即位後、文官・軍事の両権力を掌握し、外戚として勢道政治を展開
失脚の経緯権力の集中と横暴、王妃毒殺未遂計画の発覚により1779年流刑
晩年流刑先で酒に溺れ、1781年に病没

人物・特徴

  • 正祖(イ・サン)の即位前からの腹心であり、正祖の信頼を一身に受けた側近
  • 妹・元嬪洪氏を正祖の側室とし、王室の外戚となって権力を拡大
  • 朝廷の上奏文がすべて彼を通じて扱われるほどの実権を握ったが、次第に傲慢となり、敵を多く作る
  • 権力を維持するため王妃毒殺未遂事件を起こし、発覚して失脚。配流先で34歳の若さで亡くなった
  • 豊山洪氏の出身で、正祖の生母・恵慶宮洪氏とも遠縁にあたる

史実の洪国栄(ホン・グギョン)もイケメンだった!?

史料には、彼が「顔が美しかった」という記録がたくさん残っているようです。さらに、詩や文章を作るのが得意で、歌を歌うのも好きだったとか。

まさに『赤い袖先』で描かれた、宮女たちの憧れの的となる美男子のイメージにピッタリですね。恵慶宮(ヘギョングン、正祖の母)も「世孫(サン)は彼を顔も可愛らしく、賢くて機敏だと可愛がった」と書き残しているほどです。

しかし恵慶宮は『恨中録』で、サンがホン・グギョンをあまりにも寵愛し、他の官僚を遠ざけたことに対して、「男が妾に夢中になっているようだ」と評した記述も残っています。これは、彼がサンからいかに深く信頼され、特別視されていたかを物語るエピソードと言えるでしょう。

韓ドラ散歩道
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このホン・グギョンのイケメンエピソードだけで別のドラマ作れそう…!というかBL要素までありますね。

青年ホン・グギョン、世孫サンの「右翼」となるまで

役人への道: 1772年に科挙(国家公務員試験のようなもの)に合格し、役人としての第一歩を踏み出します。

サンとの出会いと信頼: 彼は科挙合格後すぐには役職につけませんでしたが、翌年2月に仮注書(カリの記録係)として働き始め、その年の4月には、世孫(後の正祖イ・サン)を補佐する「東宮時講院説書(セソンシガンウォン ソルソ)」という役職に就きます。ここからサンとの絆が深まったようです。

「世孫の右翼」: この頃のホン・グギョンは、サンの「右の翼(右翼)」と呼ばれていたそう。サンが編纂した『賢閣法語』という本も、ほとんどがホン・グギョンの言動で構成されていると言われるほど、彼がサンの思想形成に大きな影響を与えていたことがわかります。

英祖からの寵愛: 意外なことに、正祖の祖父である英祖も、彼を「私の孫」と呼んで可愛がっていたという記録が残っています。ドラマでは英祖がホン・ドンノを警戒しているような描写もありましたが、初期には期待を寄せていたのかもしれませんね。

ホン・グギョンの権力拡大

即位直後の大抜擢: 1776年3月、正祖が即位すると、わずか3日後にはホン・グギョンをいきなり「承政院(スンジョンウォン)同副承旨(ドンブスンジ)」という要職に抜擢します。さらに7月には、承政院のトップである「都承旨(トスンジ)」にまで昇進させます。

「ホン・グギョン=都承旨」: 彼が政界を去るまで、ほぼずっと都承旨の座に座っていたため、当時の人々は「都承旨」と言えばホン・グギョンを指す代名詞のように使っていたそうです。

ドラマで「全ての上奏がホン・ドンノを通じて王に届けられる」とあったのは、まさにこの史実に基づいているんですね。

文武両道のチート級官僚: 文官としては、王の学問を補佐する役職や、歴史を記録する役職、さらには人事や監察を司る重要な役職まで歴任しています。

さらに、軍の最高司令官の一人である「守御使(スオサ)」に任命され、その後も「禁衛大将(クムウィデジャン)」や「訓練大将(フンリョンデジャン)」といった軍の要職を歴任しました。まさに文武両道、超多忙な毎日だったことでしょう。

「宿衛所」の創設と指揮: 1777年に宮殿に刺客が侵入する事件(ドラマでもありましたね!)が起こると、正祖は「宿衛所(スグィソ)」という新しい護衛機関を創設し、そのトップである「宿衛大将(スグィデジャン)」にホン・グギョンを任命しました。この宿衛大将は、宮廷の警備を完全に掌握する絶大な権限を持つ役職でした。

奎章閣(キュジャンガク)との深い関わり: 正祖が設立した「奎章閣(キュジャンガク)」は、王室の図書館であり、学問研究機関でした。ホン・グギョンは、この奎章閣の「直提学(チクチェハク)」という最初の高官の一人でした。彼が推薦した庶子出身の有能な学者たちが奎章閣に入ったことも、彼の功績とされています。

権力絶頂からのまさかの転落…その本当の理由は?

ドラマでは妹の死や宮女失踪事件で失脚するホン・ドンノでしたが、史実のホン・グギョンは、もっと複雑な理由で権力の座を追われたようです。

妹・元嬪洪氏の入宮と死: 1778年、ホン・グギョンの妹は、正祖の側室「元嬪洪氏」となります。これは、彼が王室の外戚として、さらに権力を強めるための策略だと見なされました。しかし、ドラマ同様、元嬪は入宮から1年も経たないうちに急死してしまいます。

恵慶宮が記した『恨中録』には、ホン・グギョンが妹の死を「毒殺だ!」と疑い、王妃である孝懿王后(ヒョイワンフ)の宮女たちを厳しく拷問したという衝撃的な内容も書かれています。

世継ぎ問題への深入り: 妹が亡くなると、ホン・グギョンは、正祖の異母弟の子どもを、亡くなった妹の養子にして「完豊君(ワンプングン)」という名前を与え、将来の世継ぎとして教育しようとします。これは、自身の権力を後世まで保とうとする野心的な行動と見なされ、他の多くの人々の反発を買いました。

謎に包まれた失脚理由: 1779年9月26日、ホン・グギョンは突然、自ら全ての官職を辞任する上奏を提出し、正祖はそれをすぐに受け入れます。この時、正祖は32歳のホン・グギョンに、引退した老臣に与えられる「奉朝賀(ポンジョハ)」という名誉職を与え、「白髪の奉朝賀はいても黒髪の奉朝賀はいなかったが、今やいるようになった」と言われたそうです。

恵慶宮の『恨中録』などの記録では、ホン・グギョンが自ら辞任したように見えますが、実際には正祖の意思で彼が退かせられた、というのが定説とされています。しかし、その正確な理由については、今も議論が続いていて、はっきりとは分かっていないようです。

有力な説としては、「後宮の選定を妨害した」という公式な理由が挙げられています。

また、「完豊君を正祖の養子にして世継ぎにしようとした(架空の東宮を作ろうとした)」という説もあります。

流刑と若すぎる死: 辞任後も、しばらくは宮廷に出入りを許されていましたが、同年12月には彼の派閥の人間が追放され、翌1780年1月には彼の伯父も罷免されます。そして、2月には彼自身もついに流刑に処され、江原道横城(フェンソン)を経て、江陵(カンヌン)へと送られます。

そして、1781年4月5日、34歳という若さで、流刑地の江陵で病により亡くなりました。ドラマのように自害したという記録は、史実には残っていないんですね。この自害説は、19世紀から20世紀にかけて広まった俗説のようです。

赤い袖先 ホン・ドンノの実在のモデルまとめ

『赤い袖先』のホン・ドンノは、ドラマの魅力的なキャラクターとして描かれていましたが、史実のホン・グギョンは、より複雑で、より生々しい人物でした。

 

 

韓国時代劇
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この記事を書いた人
韓ドラ散歩道

「韓ドラ散歩道」を運営している韓ドラ大好き主婦です。
最近は特に「韓国時代劇」に夢中。王様・王妃・側室たちのドラマを、歴史や家系図・人物相関図とあわせて楽しく深堀り中!楽しくわかりやすい解説を心がけています。

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