ドラマ「赤い袖先」で描かれるヒロイン、ドギム。けれどSNSを見ていると、こんな声もちらほら目にします。
「ドギム、拒否しすぎてイライラした…」
「イ・サン(ジュノ)がかわいそうだった」
「好きなら好きって言えばいいのに!モヤモヤする」
ドギムの態度に“もどかしさ”を感じた視聴者は、きっと少なくないはず…(実は筆者もそう)
ドギムのモデルとなった実在の「宜嬪成氏(ウィビン ソンシ)」という人物は、正祖に深く寵愛された、非常に興味深い女性でした。
この記事では、ドギムの心情を深堀りし、実在の宜嬪成氏とドラマの描写を照らし合わせながら、
ドギムというキャラクターを改めて見つめていきます。
ドギムが嫌い…視聴者のモヤモヤと理解
ドギムが嫌い?SNSでもモヤモヤする声多数
ドラマ「赤い袖先」は、王となるイ・サンと、宮女ドギムとの切ない愛を描いた作品として多くの視聴者の心をつかみました。
…ですが、その一方で、SNSや掲示板では「ドギムにイラつく」という声も少なくありません。
- 「イ・サンがあそこまで一途なのに、ドギムが拒否し続けるのは見ていてつらかった」
- 「あの冷たさは何?イ・サンがかわいそうすぎて泣ける」
- 「自分の生き方大事にしたいのもわかるけど宮女の立場だしあれは拒否しすぎでしょ…」
- 「感情を見せなさすぎて、共感できなかった」
言っちゃ悪いが私はドギムに何の魅力も感じないどころかイラつくことの方が多いんだが、イ・サンは一体どこに惹かれているのか?
— 藍砂 (@aizna12112721) September 10, 2023
生まれてこのかたまわりはイエスマンばかりで、対等に口を利いてくる女がいなかったから新鮮だったのかな?#赤い袖先
このドラマは、ドギムをどういう感情で描いてるんだろう。
— きの🍄 (@qxyFzbGhG6PGRul) November 14, 2023
好きだけど、側室だと自分だけのものじゃないから嫌だってセリフも主人公としては傲慢だけど、何より無表情が多くて、好きという感情がまったく見えない!!イラつく(ꐦ˘•ω•˘ )
まだ、見終わってない#赤い袖先
こうした声に共通しているのは、「イ・サンの気持ちに対して、ドギムの対応が冷たく見えた」という印象です。
ジュノ演じるイ・サンが誠実で一途なほど、観ている方は彼に感情移入し、ドギムの距離感にやきもきしてしまうという。

正直、いつデレるのか?素直じゃないヒロインにヤキモキしていた管理人でした…
ドギムは“好き”を簡単に言える立場じゃない宮女であった
『赤い袖先』の第1話から、物語は“宮女”としてのドギムの人生を描き出しています。まだ幼い頃から宮中に仕え、厳しい規律のもとで育てられる彼女たちの世界は、決して自由なものではありません。
- 宮女は「王の女」であり、恋愛も結婚も許されない
- 王以外の男性との関係は死罪
- 嘘をつくことすら重大な過ち
- 生涯を宮中に捧げ、老いても外でひっそりと死なねばならない
そんな世界で生きるドギムにとって、恋を受け入れることは、人生を丸ごと王に差し出すことと同義。
拒むことで自分を守ろうとしたドギム
彼女は、軽々しく恋に落ちることも、ただの愛される存在として振る舞うこともできませんでした。
彼女がイ・サンの愛を受け入れなかったのは、嫌いだったからではなく、自分の誇りや生き方を守るためだったとも解釈できます。
「女官として、ひとりの人間として、流されずに生きたい」
その思いが、彼女のすべての選択に影を落としていたともいえます。
かわいげのなさ=葛藤の証
視聴者から見て「もっと素直になればいいのに」と思える場面も、実はドギムなりの守り方であり、強さだったのかもしれません。
本当は好きだけど、本当は一緒にいたいけど、それを選ぶことで、自分の人生も、誇りも、仲間との関係もすべて失う可能性があった――
そんな恐怖と責任を抱えながら、それでも誇り高くあろうとする彼女の姿が、あのかわいげのなさの裏にあったのではないでしょうか。
ドギムの「最後の言葉」に込められた、本当の想い
「もし、来世で見かけても、私のことは通り過ぎてください。自分が生きたい人生を送りたいから」
この言葉には、ドギムが宮廷という閉ざされた世界で自由を失い、自分の人生を選べなかった悲しみや葛藤が込められています。

このセリフを聞いたとき、
「えっ、最後までそんなこと言う?」
「あまりにもイ・サンがかわいそうすぎる」
「好きだったんじゃないの?なぜそんなことを言うの?」
と、結構ショックでした。
イ・サンはその言葉に動揺し「自分のことを愛していなかったのか」と問いかけますが、ドギムは
「あなたを愛していた。そうでなければ、すぐにでも逃げ出していた」
と、自分の本心を伝えます。
ドギムの宮女としての人生とは
ドギムは、王の側室として栄誉を受けながらも、
- 息子の死に立ち会えず
- 親友ヨンヒを失い
- 個人としての自由は奪われた存在
どれも王の女として生きた代償であり、その悲哀はドラマ序盤から描かれてきた「宮女の運命」ともいえます。
宮女は「王の女」として生涯を捧げ、個人としての自由も恋も夢も奪われる存在。その人生の中でドギムは、一度たりとも自分の幸せを選べませんでした。
実在のドギム=宜嬪成氏はどんな人だったの?
~ドラマと史実の重なりと違い~
『赤い袖先』のヒロイン・ドギムには、実在のモデルがいます。
それが、朝鮮王朝第22代王・正祖の側室である宜嬪成氏(ウィビン ソンシ)/成徳任(ソン・ドギム)です。
彼女の実像を知ると、ドラマで描かれた拒む女性ドギムの姿が、また違って見えてきます。
宜嬪成氏(ウィビンソンシ/ソン・ドギム)のプロフィール
項目 | 内容 |
---|---|
本名 | 成徳任(ソン・ドギム/성덕임) |
生没年 | 1753年(陰暦7月8日)~1786年(陰暦9月14日) |
本貫 | 昌寧成氏(チャンニョン ソンシ) |
父 | 成胤佑(ソン・ユヌ) |
母 | 扶安林氏(プアン イムシ) |
配偶者 | 正祖(イ・サン、李氏朝鮮第22代国王) |
子女 | 長男:文孝世子(ムンヒョセジャ、夭逝) 長女:翁主(娘、夭折) 第三子(宜嬪成氏が妊娠中に死去) |
身分 | 元は宮女(内人/ナイン)、後に側室(昭容→宜嬪) |
称号 | 宜嬪(ウィビン) |
史書『承政院日記』や『正祖実録』では、成氏が病を得て早くに亡くなったこと、そして正祖が彼女の死を深く嘆いた記録が残っています。
出身・宮女としての経歴
1753年、昌寧成氏の家に生まれ、幼少期に母を亡くしています。父は正祖の外祖父・洪鳳漢に仕えていました。正祖の生母・恵慶宮洪氏のツテで、10歳頃に宮中に入りました。
宮中では、正祖の母・恵慶宮洪氏付きの内人(ナイン/女官)として仕え始めました
1773年(英祖49年)には、清衍公主(チョンヨンコンジュ)らと共に古典小説『郭張両門録(クァクチャンヤンムンノク)』の国文筆写に参加しました。
「2度寵愛された」という事実
注目すべきなのは、史実において宜嬪成氏が2度にわたり正祖から寵愛を受けたとされている点です。
1766年(英祖42年)頃(ドギムが13歳頃)に、正祖(当時は世孫)が寵愛を与えようとしましたが、孝懿王后(ヒョウィワンフ)に子がいないことを理由に、涙ながらに死を誓って固辞しました。
孝懿王后は正祖の正妃であり、この時点ではまだ子どもがいませんでした。成氏は、正妃に子どもがいない状況で自分が側室となって子どもをもうけることは、正妃の立場を尊重しない行為であり、宮廷内の秩序を乱すことになると考えたようです。
これは、正妃への配慮と同時に、自身の慎重な性格や、宮廷の厳しいしきたりに対する理解を示すものと言えます。
そして、1780年(正祖4年)頃に正祖が再び寵愛を申し出た際にも一度は固辞しました。しかし、使用人が罰せられることになったため、最終的に承恩(王の寵愛を受け側室になること)を受け入れました。
1782年に長男・文孝世子を出産します。その功績で「昭容(正三品)」となり、翌年には側室最高位「宜嬪(正一品)」に昇進しました。
宮女から最高位の側室、嬪(正一品)に昇格したのは極めて異例です。
正祖(イ・サン)と宜嬪成氏(ソン・ドギム)の出会いと別れ
- 1752年(英祖28年)正祖(イ・サン)誕生
- 1753年(英祖29年)宜嬪成氏(ソン・ドギム)誕生
- 1766年(英祖42年)初めての寵愛
- 正祖:14歳
- ドギム:13歳
→ この時点では王世孫(東宮)で、まだ即位前。ドギムは若くして王の寵愛を受けることとなる。
- 1780年(正祖4年)頃 二度目の寵愛
- 正祖:28歳
- ドギム:27歳
→ 再度断るも、使用人が罰せられることになると、最終的に承恩を受け入れる。
- 1782年(正祖6年)文孝世子誕生
- 1786年(正祖10年)宜嬪成氏死去(享年33歳)
文孝世子が亡くなり、数ヶ月後に宜嬪成氏も3回目の妊娠中に死去
成氏(ドギム)は、幼い頃から宮女として仕え、13歳頃で王世孫の寵愛を受けています。
正祖にとっても、まだ若く王ではない時代の話であり、彼女との関係は「政略的」ではなく、より自然で私的な愛情に近いものだった可能性が高いです。
赤い袖先のドギムが嫌い?モヤモヤする?実在のモデル宜嬪成氏はどうだったのかまとめ
ドラマ『赤い袖先』を観て、ドギムの態度にイラっとした視聴者も少なからずいます。管理人もその一人。
しかし赤い袖先の中で常に問われる宮女という人生の中で、ドギムが自由に生きたい、自分らしく生きたいと願いながら、イ・サンとの繋がりを断ち切れない、ドギムの葛藤があらわれていたようにも思います。